現地に行ったりネットの書き込みを見たりしていると、一般の漢民族はチベット人やモンゴル人に対しては、 それほどギラギラした悪意は向けていないように感じる。 (ただし「善意の押し売り」は往々にして見え隠れするがw)
だが、ウイグル人(≒イスラム教徒)に対しては、 特に現実社会において対象との濃厚な接触がない者ほど、あからさまなヘイトを向けているようなのだ。
現地に行ったりネットの書き込みを見たりしていると、一般の漢民族はチベット人やモンゴル人に対しては、 それほどギラギラした悪意は向けていないように感じる。 (ただし「善意の押し売り」は往々にして見え隠れするがw)
だが、ウイグル人(≒イスラム教徒)に対しては、 特に現実社会において対象との濃厚な接触がない者ほど、あからさまなヘイトを向けているようなのだ。
企業は視聴率に変わる効果指標を持っていることに気づくべき。
どの枠にCMを出すかは、Webへのレスポンスを見ればよい。
テレビ局が作り出した指標である視聴率など無視して、様々な枠にCMを出して見ればよい。
Webへのレスポンスを見れば、本当に効果のある枠が簡単にわかる。
それは企業自身で持てる強力な指標だである。
大恐慌など、経済的危機ほど、企業にとってはチャンスで、マイクロソフトのような会社が生まれるのも、そして、競争相手を蹴散らして超優良企業が群を抜いて台頭して来るのも、リセッションの時である。 経済社会状況が厳しい時には、人々は、旧弊を廃して、新しくより経済的で廉価なものを追求する。必要は、発明の母である。と言うのである。
従って、国家は、こんな時こそこの危機を活用して、国民を、より賢く、より革新志向に変えると同時に、新しい財やサービスを創造できるように、積極的に援助や基礎的研究などのサポート体制を確立して、次の繁栄を目指すべきだと説く。
最後は直近のWeb関連の仕事では特に注意して見ているところですが、ネットユーザーのリテラシーというのはある方向に揃って発展していくものではなく、その行動体系やリテラシーの成長の方向もユーザーによってだいぶ異なったものになっているという実感を深めています。弊社の調査室ではネットユーザーの動向について、業務を通じて継続的にフィールドワークを行っていますが、その調査結果について話を聞いていると、「ネットおたく」からするとリテラシーが低い、と感じられるユーザーが、ある種のサービスにおいてはむしろ他のユーザーより積極的にネットを活用している、というような結果が見られるようになってきました。
古くからネットのサービスを作ってきた人ほどハマり易い落とし穴だと思うんですが、自分たちをエッジ層として考えて、他のユーザーはフォロワーとして捉え、その人たち向けには自分たちが使っているサービスのエッセンスだけを簡易に使えるように実現したサービスを設計してしまうきらいがありますが、全体としてネットユーザーが増加するに従って、実際にはユーザー間にはリテラシーの高低ではなく、全く違う利用方法、コミュニケーション形態が生まれるようになってきている、と捉えるべきなのではないかと思っています。
自戒の念も込めて大胆に言ってしまえば、エッジにいると思っている人達は、そういうところから目を背けてしまっていることで、自分たちが実はエッジでもなんでもないただのマイノリティであることに気づかず、大きな商機を逃していることも多いんではないかと思います(胸を張って「儲からないけど好きでやっているからそれでいいんだ!」ということならそれはそれで構わないんですが…)。
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さりげなーく厳しいお言葉。また、エッジ、という言葉は狭義には西海岸の最近の動向に詳しい、という意味だったのが徐々に剥離してきているという流れかな。
河野義行さん手記全文
2009年06月21日 02:02
河野義行さんが共同通信に寄せた手記全文は次の通り。
事件からまもなく15年を迎える。私の中では昨年、妻が事件発生と同時に心肺停止し、14年間意識が戻ることなく旅立っていったことで、松本サリン事件は終わりを告げた。
この15年間、理不尽な体験を踏まえ、犯罪被害者救済の不備を法廷や講演会で訴え、冤罪被害者の支援を重ねるなど様々な社会問題に関わってきた。その事により、被害者支援の必要性が認識されたり、冤罪被害者の無実が証明されたりするきっかけを作る事ができたと思う。
そうした中で、最も重要な課題があった。妻の回復であった。時間の許す限り意識の戻らない妻のもとに通い、励まし続けてきたが、医師からはいつ心臓が止まっても不思議ではない状況であることを何度となく聞かされていた。難しい状況であるだけに、14年の間、大きな不安が私を捉えていたことも事実だ。私のいないところで、妻がひっそり息を引き取ることへの不安だった。妻をひとりで旅立たせることだけはしたくなかった。
そして、遂に回復の道が絶たれたその時から、全てを妻に向けた。
昨年6月19日、介護施設から緊急入院した妻の余命が90日以内であることを医師から告げられた。漠然と考えていた妻の死に対して、現実対応を余儀なくされたのだ。それまで、「元気になったら旅行に行って温泉に入ろうね」と、常に前向きな話を続けてきたが、この宣告以後は「子供達はそれぞれ自立している。親の責任は充分果たしたよな」と、妻が安心して逝けるよう話題を変えていった。
そして、私は妻の病状をマスコミに公表した。以前から、妻の葬儀は家族だけで行いたいと考えていた。大勢の弔問者の前では家族の気持ちが弔問者に向かざるを得なくなってしまうからだ。妻に会いたい人は、妻が生きている間に会って欲しかったからだ。妻の余命が少ないことが報道されて見舞いに訪れてくださった方の中に、松本サリン事件の担当刑事の顔があった。花のアレンジメントを妻のベッドに飾り、「もっと早くお見舞いに来たかったが、敷居が高かった。澄子さんごめんなさい」と語りかけてくれた。彼の肩の荷がおりたように思えた。
宣告から半分が過ぎた8月4日、松本市内の病院に2回見舞った。妻は、血色のよい顔をして呼吸も穏やかで、本当にあと45日しか生きられないのかと思うほど安定した状態だった。その夜、なかなか寝付けずにいた5日の午前2時45分、病院から電話が入った。「奥さんの様子がおかしいからすぐに来てください」。駐車場のゲートに着いたのは午前3時、玄関に主治医と看護師が待っており、病室に着いたのは3時2分だった。この時、妻は呼吸停止していたが、心臓は動いていた。そして、私の腕の中でわずか2分後、心臓が止まった。妻は待ってくれていた。服装を整え、化粧を施した後、妻の好きだったグレン・グールドのフランス組曲を聴かせた。心なしか妻は微笑んでいるように見えた。不思議なほど悲しみの感情は湧いてこなかった。自分の腕の中で妻を看取ることが出来たこと、それは何よりも大きな妻からの贈り物だったからだ。
この妻の死を知らせる前に、長男がすでに夜行電車にて松本に向かっていたことも不思議であった。科学的には立証されていないが、妻はテレパシーで自分の死の予告を伝えたと考えなければ説明のつかない出来事だった。
さらに奇しくもこの期間は講演の予定のないスケジュールが空白の時だった。
家に戻り妻を迎える準備を進めた。妻逝去の情報を伝える原稿を書き、松本市役所にある記者クラブに届けた。「3日間だけ家族の時間を下さい」と、取材を辞退したい旨を伝えた。これまで多くの人たちに支えられて、感謝の念は尽きないが、このときだけは妻にしてやれることは全て自分でしたい−、そんな思いで死亡診断書、埋葬許可書、宮司さんへの葬儀依頼、葬儀社の手配等全て一人で行った。6日の火葬から、7日の葬儀、12日の7日祭、9月23日の50日祭まで、神道儀式に沿って私達のやり方で妻を送ることが出来た。この間、毎日いただいた花を手入れし、花を買い足し、時には山草を摘み、遺影の前に花をいっぱい飾り、絶やすことはなかった。妻が神の世界に旅立つまでの50日間、自宅を空けることなく存分に妻により添うことが出来た。自分にとって妻との出会いからこの時までを振り返る時であり、楽しい日々が去来する中で、「面白かったね」と語り合えた今生最後の時間だった。
妻は光の中へ旅立っていった。そして、私の中での事件は、昇華した。
妻の死後、家族は新しい人生に向かって歩き始めた。長男は母を安心させようと昨年結婚、勤めていた会社を辞め、今年から実家に戻り暮らし始めた。長女は今年の11月に結婚が決まっている。次女はバンコクで多忙な日々を送っているようだ。こんな子供たちを妻はやさしく見守っていることだろう。私は、親子の関係では普段はそっけないぐらいの関係がちょうどいいと思っている。お互いが干渉することなく自由に自分の価値観で楽しく生きる。楽しく生きることで周りの人たちを幸せにしていく。子供たちにはそんな家庭を築いてほしいものだ。
当時44歳だった私も来年2月で還暦を迎え、人生のリセットの時期に入る。事件に巻き込まれた当初、毎日毎日無言電話や嫌がらせ電話に悩まされた。ある日、それらの電話が一度も入らない日があった。この時、普通の生活がどんなに穏やかで幸せなのかを知った。確かに平凡な生活が幸せであることを松本サリン事件で学んだ。だが、生きている限り、自分の環境を変えて、色々なことにチャレンジする人生も悪くない。そして、人生を終えるときの言葉は用意できている。
「あー、面白かった」と。(原文のまま)