November 25, 2009
「人」がトップに立って民意を汲める社会はすでに終わっている。今、どこでイノベーションが起きているかといえば、たとえば初音ミク関連のコンテンツだ。誰も一銭の特にもならないのに、無私無欲で、初音ミクをプロデュースして、その作品を動画サイトに供給し、それがさかんにもてはやされる。
「人」がトップに立つ政治はもうダメだ。なぜなら「人」はこのネット社会においては、一人の人が、大勢の人の気持ちを受け入れるキャパシティを越えているからだ。ならば、初音ミクというキャラクタを政治のトップに持ってくるのだ。そうすれば、ぽかっと開かれた初音ミクという祭壇に、日本の多くの名無しクオリティのプロデュースパワーが注ぎ込まれ、日本は活性化するのではないか。

創造するアーキテクチャ2の感想その2。 #afc2009 - shinoのときどき日記(2009-11-24)

西郷さんとかキャラっぽい。ある意味日本の伝統かも。

著作権が人工的に作られたインセンティブ法であるとは, 例えばお友達が自分の作ったものを真似しようとするのが嫌なときに「真似しないで!」と主張することを法的に担保する, ということなのである。 故に著作権法違反は親告罪なのだ。 自分の「してほしくない」という思惑を隠し, 「著作権」という盾をかざして「著作権法で禁止されているからしてはいけない」と言うのは欺瞞である。 (そういう意味では著作(権)者が亡くなって「意思」が消失した後も保護が有効であるというのはおかしな話である。
November 24, 2009
武道では「足が揃った状態」を「隙」と言う。
足が揃った状態にいると動線の選択肢が最小になるからである。
「隙がない」というのは、べつにがちがちにガードを固めているということではなくて、「次にどういう動線を選択するか予測できない」ということである。
November 23, 2009
November 21, 2009

情報が不足した時代,価値観の前提を疑う必要が無い時代の方法論による「自己評価」には明らかに害があります。たいていの人は,それによって自信を失い過剰に攻撃的になり,自分自身との接点を見失ってしまいます。これまではその害を上回る効能があったから放置され,場合によっては奨励されてきたことですが,ここだけは至急変えるべき必要があると思います。

「自分がどういう人間であるかについて,客観的な基準や客観的に定義された概念を排除して考えること」

これが必要だと思うのです。少なくとも,「自分を評価する自分」に対する目を,ずっと厳しくする必要があるでしょう。「評価される側の自分」には厳しくても「評価する側の自分」に甘い人が多いように私は感じます。「評価する自分」を疑い,それによって得ることと失うことをもっと厳しく評価すべきだと思います。

「父性原理」の厳しさに欠けているので,近代的価値が安易なマニュアル化にすり変わってしまい,自分の人生の問題をマニュアル的に解決しようという方向に流れてしまう,この本の中の「カウンセリング」は,そういう風潮に対抗する方法論としてとらえることができます。
ソフト開発企業に所属するプログラマが十年一日のように「個別案件」を相手にしているというのは、マイケル・ジャクソンが盛り場あたりで毎晩「流し」で日銭を稼いでいるようなものだ。もったいない。そんなやり方ではマイケルやプログラミングの可能性がもたらすさまざまな効果を享受できない。
November 20, 2009

# 中国侵略前、チベットの国としてのまとまりは弱かった。特に、最初に中国軍に進入された東チベットはラサの中央政府には従っていなかった。

# 中国の浸透を許した原因は、ラサ政府の無能さはもちろん、政治的に未熟だったダライ・ラマ14世の判断の誤りにもある(さらにいえば、政治的空白が生じざるをえない「輪廻転生制度」にも問題がある)。

# 一番驚き、印象に残ったこと。
チベット人は弾圧される一方だったのではない。実に勇猛果敢にゲリラ戦を展開し、戦いは激烈を極めた。女や老人も刀や銃を取った。チベット人は元々戦いを忌避しないし、戦闘能力も高い。中国による弾圧は、双方の報復合戦としてエスカレーションしていった面がある。

# 1959年3月、ダライ・ラマを守ろうとポタラ宮殿の麓に多数の市民が集結、ダライは隠密裏に亡命する。その後のラサ市民の蜂起と、中国軍による徹底的弾圧がこんなにすさまじいものだったとは知らなかった。
たとえばダライ本人が書いた「ダライ・ラマ自伝」などでは、これはわからない。

# 1959年、国連の諮問機関である国際法曹委員会は、チベット問題についての報告書の中で「中国がチベット国民、道徳、人種、宗教、それら社会集団を丸ごと抹殺することによって絶滅しようとしたことが、1948年の国連ジェノサイド条約に触れることは明白」と述べた。
つまり、ナチスのホロコースト、ルワンダ虐殺、そして現在も進行中といわれるスーダンのダルフール紛争と同じジェノサイド(虐殺)だ、と国際社会によって非難されたのだ。

仲良しコミュニティに満足する人は、その場が激しい強制力を内在させていることに、なかなか気付かない*5。 コミュニティ内部には、選挙のように明示的でお祭り的な意思決定のイベントも、裁判のような検証システムもないので、いつの間にか中心になった人物がいつまでも前近代的な権力を維持したり、私刑的な嫌がらせが続いたりする。 その場の文化モードも、基本的には替わらない。 そうすると、なじめなければその場を去るしかないが、かといって自前でコミュニティを建てるには、稀少性の高い才能が要る。――放置していれば、《関係性の再分配》*6は成り立たない。

小規模の関係性*7においても、選挙や裁判に相当するような、公正性の高い手続きが必要に思う。 そしてそれを支えるには、強制力が要る。 大規模な社会秩序が暴力なしには支えられないように*8、小規模の関係性も、暴力なしには支えられない。

November 17, 2009
November 16, 2009
ええと、学内向けだからね?外部の人は、来ちゃだめだからね?ぜったい、だめだからね?
What is truly important is to translate the unimportant.” and a world where only so-called important information gets translated is a boring one.
日露戦争の講和条約で、これもすばらしい交渉を展開して客観的には大成果をあげたはずの外交官小村寿太郎を、国賊と決めつけた日本人の『衆愚』とも言うべき『無意識』がその後悲惨な昭和の破滅につながったこと

さっきのドラマの話に戻るとけど、イタリアには同じように可愛くて、おっちょこちょいマフィアの娘のようなキャラクターがドラマの主人公にされたとしたら。。。大騒ぎになると思う。

冗談じゃないわぁと多くのイタリア人は言いそう

毎日どんだけの人殺されたり、脅かされたりしてるのに「ふぁいとおお。。っお!」っていう場合じゃなかろう。