私がここで考えているのは、過去の東洋思想は、この地上世界が存在する意義をまだ完全に理解しきれておらず、「なぜこんな場所に来てしまったのか」という感覚を引きずっているところがある、ということだ。それはまだこの思想が完全に成熟したものではなく、一つの人類の発達段階にすぎなかったことを意味しているのではないか。つまり、私たちはまったく新しい思想を必要としているのではないかということだ。スピリチュアル思想そのものが、東洋思想の焼き直しではなく、新しいバージョンになっていくのだ。
そのように、多次元的な自覚をもちつつ、この時空において無限に創造を続けるものとして存在するというあり方が、現在的な霊性の形ではなかろうか? 過去の思想の中では、禅がこれにいちばん近いものだろう(ただ禅のワークの仕方自体は現在にはそぐわないものではある)。エックハルト・トールなどの思想が禅と似てくるのもある意味で必然ではあろう。エイブラハムやバシャールの思想もそういう意味できわめて先端的なエッジを走っている。また思想家として私が注目しているのはアーノルド・ミンデルで、彼の描く世界はかなり現代的な霊性の形に近いと思う。この前紹介したU理論もかなりいい。いずれも宇宙の無限の創造性をよく理解している思想だ。
これは私が以前から主張している「天使学」的な立場、つまり人間以外の高次知性体の存在を認めるという思想と、何ら矛盾するものではない。つまりそれらの存在も宇宙の無限の創造性の一つであるのだ。宇宙が多次元であることがわかっていないのは本物の禅ではないだろう。言わないだけだ。
そのように、多次元的な自覚をもちつつ、この時空において無限に創造を続けるものとして存在するというあり方が、現在的な霊性の形ではなかろうか? 過去の思想の中では、禅がこれにいちばん近いものだろう(ただ禅のワークの仕方自体は現在にはそぐわないものではある)。エックハルト・トールなどの思想が禅と似てくるのもある意味で必然ではあろう。エイブラハムやバシャールの思想もそういう意味できわめて先端的なエッジを走っている。また思想家として私が注目しているのはアーノルド・ミンデルで、彼の描く世界はかなり現代的な霊性の形に近いと思う。この前紹介したU理論もかなりいい。いずれも宇宙の無限の創造性をよく理解している思想だ。
これは私が以前から主張している「天使学」的な立場、つまり人間以外の高次知性体の存在を認めるという思想と、何ら矛盾するものではない。つまりそれらの存在も宇宙の無限の創造性の一つであるのだ。宇宙が多次元であることがわかっていないのは本物の禅ではないだろう。言わないだけだ。