他には、いわゆる「説教」も認知的不協和に基づく行動です。説教とは、ずばり自分の人生観を絶対的なものとし、他者に押し付ける行為です。つまり、説教がましい人間と言うのは、のろけるカップルと同じく、不安で塗りたくられた自分の人生観を正当化するために、他者を利用して自己暗示をかけているわけです。
人生のアドバイスと称するものを注意深く聴いてると分かるのですが、その人がアドバイスと呼んででいるものは、相手の背景など視野に入っておらず、自分が人生のどんな場面で苦労し、いかにそれをしのいだかという不幸自慢である場合がほとんどです。
また、私がこうした人々を観察していて気づいたのが、やたら年上・目上であることを強調し、それを説教の正当化に結び付けようとする傾向が強いことです。つまり、時間や立場と言う逆転困難なものを盾にして、自分のポジションを常に相手の上に置いておかないと満足にものが言えないほど、人間が脆いのです。
人生のアドバイスと称するものを注意深く聴いてると分かるのですが、その人がアドバイスと呼んででいるものは、相手の背景など視野に入っておらず、自分が人生のどんな場面で苦労し、いかにそれをしのいだかという不幸自慢である場合がほとんどです。
また、私がこうした人々を観察していて気づいたのが、やたら年上・目上であることを強調し、それを説教の正当化に結び付けようとする傾向が強いことです。つまり、時間や立場と言う逆転困難なものを盾にして、自分のポジションを常に相手の上に置いておかないと満足にものが言えないほど、人間が脆いのです。
自殺しない回路 (via eternityscape)